【取材レポート】震災復興とソーラーシェアリング/飯館電力(福島県飯館村)
東京電力福島第一原子力発電所の事故により全村避難を余儀なくされた福島県飯館村。この地で村の未来を想像するために村民自ら立ち上がって設立された市民電力、それが「飯館電力」だ。平成27年に最初の太陽光発電所を竣工以来、様々な壁にぶつかりながらもそれを克服、村内に数多くの小規模ソーラーシェアリングをも生み出してきた。そんな飯館電力の取り組みを取材した。
クルマで飯館村を走ると、至る所で目にするのが上の写真のような光景。除染作業によって除去された放射能の汚染土を詰め込んだ、いわゆる「フレコンバッグ」と呼ばれる袋の山だ。順次県内の中間処理施設への運びだしが行われているものの、まだ村内には、約230万個(※取材時点)ものこうしたフレコンが積まれたままなのだと言う。
今回、村内の飯館電力各施設を案内してくれた専務取締役の近藤恵さんは語る。
「こうした風景を見てもわかると思いますが、お上頼みの除染には限界もある。我々は、やはり自分たちの手でこの村の農地や産業をなんとかしなければ、という想いから立ち上がった会社です。とはいえ、ブランドとして有名だった飯館牛の肥育をすぐに復活させることもできないし、農業は言うまでもない……やっぱり太陽光発電しかないでしょう、と」。
村内で飯館牛の肥育を行なっていた小林稔氏を社長に、2014年(平成26年)に設立された飯館電力だったが、直後に出鼻を挫かれる。1.5MWのメガソーラーを建設すべく先んじて準備を進め、7人の地権者に同意書までもらっておきながら、設立翌日に東北電力が接続保留を発表したのだ。バブルに湧く太陽光発電業界に激震が走った、いわゆる「九電ショック」の余波だった。
「半ば会社の存続まで断念しかけました。でも当時の取締役会で誰かが言ったんですよね『メガソーラーがダメなら、低圧の50kWを20箇所やればいいじゃないか』って。それで、場所を見つけようということになって、完成したのが1号発電所です」(近藤さん)。
今回の取材で大変お世話になった飯館電力専務取締役の近藤恵さん。東京出身ながら千葉県と福島県二本松市で有機農業に取り組み、独り立ちした最中に被災。農業を断念して、自然エネルギーの道を歩んだという経歴の持ち主。
飯館電力による第1号となった「飯館村伊丹沢太陽光発電所」。村営の特別養護老人ホーム脇の村営地に完成。270wのパネルを216枚使用、いわゆる「過積載」によって、売電効率のいい発電を行なっている。
飯館電力が手がけた村内の太陽光発電所は、取材時点で39ヶ所。そのうち13ヶ所がソーラーシェアリングだ。2019年(平成31年)にはさらに増えて55ヶ所、ソーラーシェアリングも21ヶ所となる予定。パネル下には主に牧草が植えられ、ゆくゆくは飯館牛の肥育での活用を目指しているそう。
「実は、メガソーラーがダメになって低圧で行こうとなってから、見つかった候補地20ヶ所のうち、12ヶ所が農地だったんですよ。系統接続という壁を乗り越えたと思ったら、今度は農地法の壁にぶつかったわけです。でも、千葉の東さん(市民エネルギー・ちば)や、斎藤さん(KTSE)の助けもお借りして、ソーラーシェアリングとして取り組むことになったんです。最初は牧草を育てたところで、牛もいないわけだし、使えるかどうかもわからない……とにかく諦めなかった、それだけですよ(笑)。今年(※注2018年)収穫の牧草から、ようやく使えることにもなりましたけどね。」(近藤さん)
村内に散在するソーラーシェアリングを、近藤さんに案内してもらう。いずれも50KWの低圧発電所で、取材時には播種直後の施設もあったが、パネル下に作物があることを考えると、(フレコンバッグに比べれば)風景にほどよく馴染んでいる気がするのは、贔屓目というものだろうか……。
播種したばかりの牧草の様子をみる近藤さん。
もともと200軒以上いた飯館牛の肥育農家は、今ではたったの6件に。牛を育てるためには肥料(えさ)のコストも大きな負荷になるため、飯館電力では遊休農地を使って牧草に変わる「ソルゴー」(タカキビ)も栽培している。植えるだけでほとんど手がかからないうえ、甘くて牛も好んで食べる。しかも同じ面積で牧草の約5倍もの収量が見込めるのだとか。飯館牛復活に向けて、未来を見据えた取り組みだ。
「正直な話、ソーラーシェアリングは“苦肉の策”です。パネル下の農業については、これからという感じですしね。とはいえビジネスとしてしっかり成立させることは重要だと考えています。今後発電所をさらに増やすことについては、村外や県外にまで進出するのはどうかとも思っています。むしろそういうお話があれば、コンサルティングという形での応援をしていきたいですね。」(近藤さん)。
実際そのお話通り、福島県二本松市で進められたソーラーシェアリングの案件では、運営団体が近藤さんがもともと農業の修行をしたところだったということもあり全面的にバックアップ、取材後すぐに発電を開始している。
飯館電力も安定して業績は伸び、2018年度は4期目にして初めて黒字化も達成したそうだ。
今回の取材をとして改めて考えさせられた「被災地、特に農地復興の難しさ」。そしてその鍵ともなりうるのが、他ならぬソーラーシェアリングだ。
残留放射能の問題については、様々な意見もあろうが、地元で生きる人々にとって、未来に向けたその可能性こそが、大きな希望となりうることは、想像に難くない。
除染土のフレコンバッグの仮置場としての利用だって、未来に向けた取り組みには違いないだろう。しかし、農業や畜産業の再生を見据えた取り組みの一部として、ソーラーシェアリングがもつ可能性は、決して小さくない。
しかも(県)外資によるメガソーラーなどの大規模な取り組みではなく、飯館電力が取り組むような、村民自身による低圧小規の分散型ソーラーシェアリングの展開は、今後他の地域においても大いに参考になるのではないだろうか。
飯館電力が手がける深谷地区復興拠点エリア太陽光発電所。道を挟んで対峙するかのように存在する、積み上げられたフレコンバッグ(画面奥の緑色シートがかけられた山)と太陽光発電所。今回の取材を象徴する風景となった。
(※2018年7月取材)
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